洞泉寺はもとは三河国挙母(いまの豊田市)にあり、1581年(天正9年)に僧宝誉によって長安寺村に移され、1585年(天正13年)になって豊臣秀長が現在地へ移したといわれています。ご本尊の木造阿弥陀如来と両脇侍立像三謳は国の重要文化財です。本堂は築380年目の総建て替え。歴史ある社寺の建て替えに、匠の技と心を尽くして臨みました。
社寺建築の外観は、照り(軒先のライン)の美しさで決まります。垂木は二重垂木の本繁(垂木の間隔を狭くし、密に渡したもの)です。
木筋(きすじ)と色合いの調和を「木味(きあじ)」といいます。柱や梁には木味のよい材を選びました。柱はケヤキ、梁は吉野ヒノキです。軸の太さと高さ、梁の太さと長さなど、見た目のバランスが美しいほど、不思議と構造的なバランスもとれています。
内部の見せ場の一つが「内陣」。密な折上格天井は、すべて吉野ヒノキの無垢材で仕上げました。もちろん釘は使いません。天井を剥がせば、空が見えないほど材が複雑に入り組んでいます。
境内に安置されている垢抓湯槽です。第45代聖武天皇の皇后・光明皇后が、病に苦しむ人のために造ったといわれる湯槽で、内面には東西南北にそれぞれ梵字が彫られています。